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浦和地方裁判所 昭和62年(ワ)1402号 判決

原告

正木秀雄

正木美穂

正木雄宇

正木弥恵

右三名法定代理人親権者父

正木秀雄

右原告ら訴訟代理人弁護士

岡田正樹

牧野丘

被告

厚川富男

右訴訟代理人弁護士

須田清

岡島芳伸

被告

学校法人獨協学園

右代表者理事

木田宏

右訴訟代理人弁護士

赤松俊武

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

(略称)以下においては、原告の表示は、「原告秀雄」のように姓を省略し、被告厚川富男を「被告厚川」と、被告学校法人獨協学園を「被告学園」と略称する。

第一請求

被告らは連帯して、原告秀雄に対し、金二二一七万八六五六円を、原告美穂、同雄宇及び同弥恵に対しそれぞれ金七五七万二五五一円を支払え。

第二事案の概要

一次の事実は、原告らと被告厚川との間では争いがなく、原告らと被告学園との間では、原告らの身分関係については〈証拠〉によって認められ、その余は争いがない。

1  原告秀雄は、昭和六〇年一二月一五日死亡した正木八重子(以下「八重子」という。)の夫、原告美穂、同雄宇及び同弥恵は、それぞれ原告秀雄と八重子との間の長女、長男及び二女である。

2  被告厚川は、肩書地において厚川病院を開設して主に産婦人科の診療を行っている医師であり、被告学園は、獨協医科大学を開校している学校法人であって、同大学の付属機関として同大学越谷病院(以下「越谷病院」という。)を開設している。

3  八重子は、昭和六〇年一二月一三日午後一時ころ、厚川病院に出産のために入院し、同日午後四時五五分、原告弥恵を出産したが、胎盤娩出前後から大量の出血を生じたために輸血を受けた後、午後八時一〇分ころ、被告学園越谷病院に転院したが、同月一五日午後二時五分死亡した。

二本件は、原告らが八重子の死亡によって生じた損害を、不法行為又は診療契約の債務不履行に基づき、請求した事案であって、中心的争点は次のとおりである。

1  原告らの主張

(一) 被告厚川に対して

(1) 入院時期遅延の過失

八重子は、昭和六〇年一二月一三日午前三時に陣痛開始とともに破水し、危険な状態に陥ったので厚川病院に入院を希望した。八重子は、同年五月から継続的に厚川病院の診察を受けていたのであるから、このような場合、被告厚川としては、速やかに八重子の入院を受け入れるべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、八重子が実際に入院することができたのは同日午後一時すぎであって、この入院の遅れが分娩の困難性を増大させて母体への危険を高めた。

(2) 輸血用血液の確保を怠った過失

八重子の大量出血の原因は子宮弛緩性出血であったところ、同人は、厚川病院での初診以来、羊水過多が指摘され、また多胎でもあり、さらに陣痛促進剤を多用している。このような場合、被告厚川としては、大量出血について予見可能であり、その予見に従って輸血用血液を備蓄し、あるいは速やかにそれを取り寄せる態勢を採るべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、輸血用血液を備蓄せず、速やかにそれを取り寄せる態勢にもなかった。

(3) 輸血及び止血剤投与遅延の過失

八重子は、分娩直後から約一〇分間に二〇〇〇ないし三〇〇〇ccの大量出血をし、午後八時すぎまでの間に約四七六九グラムという体内の殆どの血液が流出する事態に至ったものである。このような場合、被告厚川は、時期を失することなく大量の輸血を行うとともに、フィブリノーゲン等の止血作用のある薬剤を大量に投与する義務があるにもかかわらず、これを怠り、大量出血開始から一時間近く経過した午後六時ころに原告秀雄の血液一五〇ccを輸血し、更に出血開始から二時間近く経過した午後六時五〇分ころ血液センターから到着した血液一〇〇〇ccを輸血したにすぎない。

(4) 薬剤投与上の過失

仮に、八重子の大量出血の原因が羊水栓塞症に続発したDIC(広汎性血管内血液凝固症候群)であるとしても、羊水栓塞症は、過期妊娠、羊水過多、強直陣痛あるいはオキシトシン(子宮収縮剤、商品名アトニンO)の注射などによって子宮内圧が急激に上昇したときに起こり易いとされているところ、八重子は、羊水過多症で子宮が過伸展の状態にあったことが推測され、その上娩出直前において過強陣痛の状態にあったのであるから、被告厚川は八重子が羊水栓塞症を発症し易い状態にあることを認識しえたものである。そして、アトニンOは、本来陣痛誘発導入時において毎分0.0015ないし0.003単位で投与を開始し、陣痛の発来が不十分であれば、一五分ないし三〇分毎に0.015単位ずつ一分当たりの投与量を増加させて投与することになっており、増量させても毎分0.015単位に抑えるものとされている。このような場合、被告厚川は、子宮内に裂隙を生じさせる危険の多い薬剤の使用を避けるべき義務があり、仮に使用回避義務がなかったとしても投与前に羊水栓塞の発症の疑いを持つべき義務があるのに、これを怠り、一三日午後四時三〇分以降午後五時二分までの間に五単位に及ぶ多量のオキシトシン(商品名アトニンO)を投与し、さらに午後五時二分以降それを更に五単位も投与した。

(5) 転院措置遅延の過失

大量出血時に右の大量輸血及び止血剤投与の措置を採ることができないときには、それが可能な病院に転院させるべき義務があるにもかかわず、被告厚川はこれを怠り、大量出血開始から二時間三五分を経過した午後七時三〇分に被告学園越谷病院に転院を依頼したにすぎず、そのため八重子が同病院に到着したのはその後四〇分経過した午後八時一〇分になった。

(二) 被告学園に対して

(1) 手術選択の過失

八重子は、一三日午後八時一〇分ころ被告学園越谷病院に到着した後、同日午後一一時一五分から翌一四日午前一時五一分までの間に子宮摘出手術を受けたが、同病院到着後から右手術の開始直前までに四七八九グラムの出血をみたうえ、止血しないという重篤な状態であった。このような場合、被告学園越谷病院の担当医師には、子宮、内腸骨、骨盤等の動脈を結紮する方法を採るべき義務があったにもかかわず、これを怠り、子宮摘出手術を選択した。

(2) 手術遅延の過失

仮に右子宮摘出手術が必要であったとしても、被告学園越谷病院の担当医師には、八重子の入院に合わせて直ちに手術をできる態勢をとるべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、八重子到着後三時間も経過してから右子宮摘出手術を行った。

(3) 術後管理の過失

被告学園越谷病院の担当医師には、子宮摘出手術を行った場合、術後の急激な病変に対する充分な処置と態勢を採るべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、点滴、利尿薬を使用する程度であった。

2  被告らの主張

(一) 被告厚川の主張

八重子の初診時に羊水過多であったことはないし、多胎でもない。被告厚川が八重子に陣痛促進剤を多用したこともない。分娩前において大量出血は予見できないし、八重子が大量出血することを予見させるような事実もなかった。八重子は、昭和六〇年一二月一三日午前三時に陣痛を開始しておらず、したがって同時刻ころ危険な状態に陥ったなどということもないし、入院遅延の事実もない。

一般論として、大量出血を見た場合にショック状態、さらには不可逆性ショック状態に陥ること、ショック状態からの回復ないし不可逆性ショック状態回避のため、止血、輸血等の措置をとるべき義務があることは認めるが、被告厚川は、開業医として、与えられた状況の中で最善の注意義務を尽くして治療をしたものであって、義務違反はない。

(二) 被告学園の主張

八重子の死亡原因は、羊水栓塞によるDICと考えられる。すなわち、分娩中に何らかの原因で羊水が大量に母体血中に流入し、羊水栓塞を生ぜしめ、DICを発症させ、そのため胎盤機能不全に陥り、胎児の仮死を招くとともに、出血傾向が強くなり、弛緩子宮からの大量出血を惹起し、出血性ショック、多臓器損傷へと悪循環に陥り、回復不能の状態へと進行したものと考えられる。

被告学園越谷病院の担当医師は、当初、八重子の症状を出血性ショックと診断し、それに対応する処置を行ってきたのであるが、子宮全摘手術及び止血処置により子宮からの大量出血は止まり、八重子の意識も回復し、血圧も比較的安定し改善したかに見えたものの、出血傾向と腎機能の障害が持続し、結局対応処置が全く効を奏せず、急激に悪化し死亡の転機をたどったのである。この経過の中で、羊水栓塞によるDICを予測することは不可能であって、また予測したとしても既にDICが進行し、出血傾向が増強持続したことによる腎臓、肝臓その他の臓器の不可逆的損傷のため救命することは不可能であった。

第三争点に対する判断

一先ず、厚川病院における八重子の診療の経過を見るに、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

①  八重子は、厚川病院において、昭和五一年一一月一〇日長女である原告美穂を、昭和五四年一〇月二四日長男である原告雄宇をそれぞれ出産したことのある経産婦であった。

②  八重子は、昭和六〇年五月一一日厚川病院で診察を受けたところ、妊娠三か月(八週)、出産予定日は同年一二月二三日であるとの診断を受け、その後同年六月一一日から同年一一月八日まで、右初診を含めて定期的に延べ七回の診察を受けたが、この間特に異常は見られなかった。その後、同年一一月二七日の第八回目の診察においては、羊水過多の疑いがあり、また下肢浮腫が見られたことから、被告厚川は、バイカロン(利尿剤)を投与した。更に、入院前日の同年一二月一二日の第九回目の診察の際は、浮腫があり、蛋白も出ており、腹囲一〇六センチ、子宮底三九センチとなっており、胎児がかなり大きくなっていると考えられたことから、被告厚川は、早期に出産にもっていく方が良いと判断し、子宮口を柔らかくして分娩が早く起こるようにするため、マイリスを投与した。

③  右のような経過の後、同年一二月一三日午前三時ころ、八重子から厚川病院の当直看護婦に「破水したが陣痛がない。入院するのか。」との電話があり、同看護婦は「来院するように。」と応答したが、八重子は来院しなかった。その後、同日の午前九時三〇分ころ、被告厚川は、八重子が破水入院の予定である旨の報告を受けて準備をしていたところ、午前一一時三〇分ころ八重子から再度電話があって破水が継続しているがどうしたらよいかとの相談を受けたので、入院するよう指示し、午後一時、八重子は厚川病院に入院した。

④  午後一時一〇分ころ、被告厚川が診察したときの八重子の状態は、破水流出著明、児頭ほぼ固定、子宮口2.5指開大、子宮膣部やや軟化、胎児心音正調、出血少、血圧九六―七〇であり、プロスタルモンE(分娩促進剤)三錠を以後一時間毎に一錠ずつ投与した。午後二時三〇分ころには、五パーセントブドウ糖、ビタカンファー(強心剤)、ブスコバン(頸管拡張剤)、プロスタルモンF(分娩誘発剤)を静注し、八重子に陣痛が発来したが、児心音はやや不規則であった。

⑤  午後三時三〇分ころ、八重子は分娩室に入り、分娩監視装置を装着した。このとき、八重子には子宮底部には異常隆起が認められ、被告厚川は、胎児の奇形を考慮して超音波診断撮影を実施したが、特に異常を認めず、羊水が多い状態であると診断した。

⑥  午後三時五〇分ころ、分娩方法判定のためにレントゲン撮影を実施したところ、児頭の骨盤内陥入を認めたので、経膣分娩可能と診断して、分娩経過観察を継続した。

⑦  午後四時、児心音不規則、児頭下降、子宮口ほぼ全開、血圧八八―五〇、脈拍一二六になり、更に午後四時一〇分ころ、血管確保をしてラクトリンゲルを静注したところ、午後四時三〇分に子宮口全開(分娩第二期)となったが、児頭の進行が少なく、心音不規則であったことから、午後四時五〇分にアトニン0五単位(一cc)を点滴内に追加し、吸引分娩を行ったところ、四ないし五回の吸引で児頭が発露したので、吸引装置を離脱して会陰切開を実施した。

⑧  午後四時五五分、胎児が娩出(分娩第三期)した。胎児は、女児(原告弥恵である。)、四二〇〇グラム、身長52.6センチ、胸囲36.5センチ、頭囲三五センチの巨大児であったが、第二度の仮死状態であったために蘇生術を施行し、約五分で自発呼吸を開始した。ところが、八重子には胎児娩出時に羊水を含めて約五〇〇ccの多量出血があり、血液は凝固していたものの出血は持続していた。

⑨  午後五時〇二分、胎盤娩出と同時に再度の大量出血が始まり、約一〇分間に約二〇〇〇ないし三〇〇〇ccの出血が認められた。被告厚川は、メテルギン(子宮収縮剤)、ハイホーリン(止血剤)を点滴中に静注し、アトニンO五単位(一cc)を点滴内に追加し、アイスノン冷法及び子宮双合圧迫による止血処置をしたが出血は持続していた。このとき子宮外口部には裂傷を認められなかったし、子宮収縮も良好であった。しかしながら、出血が持続していたため、被告厚川は、午後五時〇五分ころ、輸血の必要を認めて輸血用血液を日赤血液センターに発注して、交差試験のための準備を開始し、プロトロピン、トロンボフィブリノーゲン検査を実施するとともに、近くの開業医である川島淳医師及び服部光顕医師に応援を要請した。

⑩  午後五時二〇分ころ、ソルコーテフ、ラックテックを静注し、静脈切開(右足部、右大腿部)をしてデキストラン等の薬剤を注入し、五パーセントブドウ糖とヘパリン二〇〇〇単位を注入したが、このころから八重子の血液が凝固しなくなり、被告厚川は、DICの発症を疑った。また、八重子は眠気を訴え、意識の減退が認められた。

⑪  午後五時三〇分ころ、原告秀雄に連絡をとり、午後五時五〇分に川島淳医師が、午後六時に服部光顕医師がそれぞれ応援のために到着した。午後六時三〇分ころ、原告秀雄も到着したが、八重子には血圧低下、意識混濁が見られるようになり、原告秀雄の新鮮血一五〇ccを輸血し、午後六時五〇分ころ、血液センターから到着した血液一〇〇〇ccを輸血した。右輸血の結果、午後七時ころには八重子は意識明瞭になったが、今後の措置を考えて、午後七時三〇分ころ、被告学園越谷病院に転院を要請して受け容れられたので、午後七時四〇分に救急車にて八重子を同病院に移送した。

二次に、被告学園越谷病院における八重子の診療経過については、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおりと認められる。

①  午後八時一〇分に被告学園越谷病院に搬入された八重子は、意識レベルが低下し、前身蒼白、額面四肢の浮腫が強度でチアノーゼが見られ、出血性ショックと診断されて、直ちに酸素投与、止血及び合併症予防のための措置が採られ、ヘスパンダー(輸液代用液)二〇〇〇ccの投与、輸血二四〇〇cc、各種薬剤の投与が行われたが、出血量が多く、輸血及び輸液のために別の血管を確保する必要があり、努力の結果約一時間後に左手背部に血管を確保することができた。この間、血圧は午後八時四〇分には九〇―五〇となって多少改善をみたが、午後九時三〇分には五〇―三〇と著しい低下が見られ、無尿状態になった。しかも、その間、出血が継続しており、午後一〇時〇五分ころまでの出血量は四七〇〇グラム以上に達していたが、全身状態が悪いため、出血原因と考えられた子宮の摘出術を行える状態ではなかった。

②  午後一一時三九分から翌一四日午前一時五〇分までの間に子宮亜全摘出術が行われた。術中に輸血二二〇〇ccが補給されたものの一二〇〇ccの出血があった。

③  子宮摘出術後、右股静脈及び左手背の静脈血管から、イノバン(強心剤)、ホスミシン(抗生剤)、アドナ(止血剤)等の薬剤の投与が継続して行われ、午前五時ころには意識レベルが回復し、血圧は一〇〇―五〇と上昇し、午後にはほぼ一三〇―七〇で安定したが、脈拍は毎分一四〇回と頻脈が継続していた。しかし、出血傾向は続いており、午前一一時までに性器から九六グラム、右股静脈点滴注射部位等から五〇グラムの出血が見られた。

④  午後〇時五〇分ころ、右股静脈点滴注射針が閉塞したために、これを抜去し、右鎖骨下静脈に血管を確保して点滴を継続したが、午後四時ころから右股静脈点滴注射針を抜去した部位から多量の出血があり、圧迫固定による止血を試みたが完全には止血せず、午後五時ころからは右鎖骨下静脈点滴部位からもじわじわとした出血が見られるようになり、発汗著明となり、肺雑音も生じるようになった。また、入院時からの乏尿状態はラシックス(利尿剤)の大量投与にもかかわらず改善されず、午後六時ころからは極めて少量になり、午後八時ころからは四肢にチアノーゼが見られるようになった。

⑤  そして、翌一五日午前三時ころから血圧一〇〇―六〇と低下し、午前四時ころ右股静脈注射部位から多量の出血があり、午前六時ころに血圧六七―三七と更に低下して、再び意識不明に陥るなど容体が悪化し、輸血を行って一時的に持ち直したものの、午後〇時四〇分以降は血圧測定不能になり、午後一時三五分呼吸停止となり、蘇生術を施行したが午後二時〇五分死亡した。

三そこで八重子の出血原因及び死亡原因について検討する。

1  被告学園越谷病院病理部で実施した八重子の死体解剖の報告書(〈書証番号略〉)によると、「ショックによると思われる病変として、急性尿細管壊死、肝中心小葉の壊死と出血が認められ、また両側肺に羊水栓塞が認められる。そして、直接死因については確定できないが、右、の病変だけでも、死因につながると思われる。DICについては形態的にこれが存在したと診断することはできないものの、腹膜後腔、腸粘膜等に出血が見られ、DICが存在した可能性が十分考えられるほか、両側肺に見られる羊水栓塞がDICを起こした可能性も十分考えられる。」とされている。また、同病院婦人科の手術記録(〈書証番号略〉)には、「摘出子宮には三時と九時の位置に大きな頸管裂傷があり、これが大出血の主原因であった。」と記録されているが、この点について、〈証拠〉によれば、その後同様の症例を経験するうちに右裂傷は子宮亜全摘術の際に生じたものではないかと判断するに至っていることが認められる。

2  ところで、〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。

(一) 一般に分娩時出血量の正常値は五〇〇cc未満で、五〇〇cc以上の出血は分娩時異常出血とされている。この分娩時異常出血の主な原因としては、分娩第一期及び第二期では、前置胎盤、常位胎盤早期剥離、早産、子宮破裂、卵膜付着臍帯血管の断裂、静脈瘤破裂、頸管ポリープ、辺縁静脈洞破裂が、分娩第三期及び分娩直後では、子宮弛緩症、会陰、膣及び頸管の裂傷、胎盤残留、胎盤ポリープ、子宮反症、DIC等が考えられている。

(二) 子宮弛緩症とは、胎児娩出後又は胎盤娩出後に、子宮筋が正常の収縮・退縮をきたさないものをいい、胎盤剥離部の血管及び子宮静脈洞が縮小閉鎖されないため、ときに一〇〇〇ないし二〇〇〇cc以上の大出血を起すことがある。

(三) DICとは、何らかの機転で血管内の血液凝固系が活性化され、微小血管内で広汎に微小血栓が形成されたため、その結果として発生してくる病態の総称である。産科領域におけるDICの基礎疾患としては、常位胎盤早期剥離、羊水栓塞症などがある。その特徴的な臨床所見としては、患者は一見して重篤な感じを与える、出血してきた血液は凝固性に乏しく、なんとなくさらさらしており、凝塊を形成しても柔らかであったり、全く凝固しない、注射部位、特に静注部位に紫斑形成傾向が認められる、注射部位だけでなく、口腔粘膜、鼻粘膜からの出血など全身的な出血傾向が見られる、等である。DICが発症した場合には、従来一般に行われてきた止血法では止血せず、また重要諸臓器の細小動脈に血栓を起こして分娩ショック、心機能障害、肺水腫などをきたす。

(四) 羊水栓塞症とは、羊水が母体血中に急激大量に入るための疾患であり、羊水中の浮遊物による肺循環の機械的閉塞による急性肺性心(急激な胸内苦悶と呼吸困難、チアノーゼなど)、羊水中の凝固促進物質やアシドーシスによるDIC、それに続く出血傾向が基本病態であり、その確定診断は母体血中に羊水成分を証明することによる。本症の初発症状は右の胸内苦悶と呼吸困難、チアノーゼなどが多いが、出血が初発症状のこともある。また、本症は、過期妊娠、羊水過多、強直陣痛、オキシトシンの注射により、子宮内圧が急激に上昇した場合に起こりやすいといわれることもあり、多くの症例は破水後に発症している。

3 以上の解剖所見及び分娩異常出血についての一般的知見と前記認定の八重子の臨床経過を総合し、〈証拠略〉を合わせ、八重子の出血原因及び死亡原因を判断すると、八重子が出産当日午前三時ころには破水しており、羊水過多の状態は分娩時まで継続していたこと、両肺に羊水栓塞が見られ、血液の凝固性がなくなっていたこと、多臓器が損傷していたことからすれば、分娩前後ころに羊水栓塞症を発症し、これにDICが伴って、死亡に至ったものと推認するのが相当である。もっとも本件では、胎児娩出時に約五〇〇ccの出血があり、更に胎盤娩出時に二〇〇〇ないし三〇〇〇ccという大量の出血があったこと、その前後に八重子には胸内苦悶、呼吸困難、チアノーゼなど羊水栓塞に伴う通常の症状が見られないことからすると、弛緩出血も疑われるが、被告厚川の所見によれば子宮収縮が良好であったというのであり、弛緩出血の特徴的所見である子宮収縮不良が認められないことからすると、出血原因を弛緩出血と推認することは相当でない。

四次に被告らの責任について考える。

1  被告厚川について

(一) 入院時期遅延の過失について

厚川病院では、八重子から電話で破水したこと知らされた際、看護婦が入院を勧めたにもかかわらず、八重子が入院をしなかったものであって、被告厚川が八重子の入院を拒否したために入院時期が遅延したものとは認められない。そうすると、この点について被告厚川に過失があるということはできない。

(二) 輸血用血液の確保を怠った過失、輸血及び止血剤投与遅延の過失について

被告厚川が輸血用血液を常備しておらず、八重子の大量出血後約一時間以上経過した午後六時三〇分ころ原告秀雄の血液一五〇ccを、その約三〇分後に日赤血液センターから取り寄せた血液一〇〇〇ccを輸血したにとどまり、これは出血量には到底及ばない輸血量であったこと、八重子の出血は大量出血後も少量とはいえ持続していたことは前記認定のとおりであるから、右輸血措置は不十分なものであったといわざるを得ない。

しかしながら、八重子の大量出血の原因が羊水栓塞症であったことは前記認定のとおりであり、さらに〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、羊水栓塞症の誘因は、一応羊水過多、オキシトシンを使用したときなどに起こりやすいといわれているものの確定し難く、しかもその症例は二万ないし三万の妊娠に一例の頻度で生じる程度の極めて稀なものであって、致死率は九〇パーセントに上ぼり、確実な予測及び治療法が確立されてはいないのが現状であることが認められる。これらの事実に照らせば、一般の産科開業医としては羊水栓塞症を予想して輸血用血液を確保していなければならないとはいえず、被告厚川の採った輸血措置に義務違反があったとまでは認められない。また、仮に輸血用の血液の準備があったとしても、死の結果を避け得たかどうかについては疑問の余地があり、現在の医療水準に照らし注意義務違反を認定し得るだけの立証もない。

(三) 薬剤投与上の過失について

八重子が出産当日午前三時ころにすでに破水していたこと、分娩時においても羊水過多の状態にあったこと及び被告厚川が八重子に対してオキシトシン(アトニンO)を使用したことは前記認定のとおりである(なお、娩出時に過強陣痛の状態にあったことは、これを認めるに足りる証拠がない。)。ところで、前記のとおり、羊水栓塞症の誘因は明らかでなく、羊水過多ないしオキシトシンを使用したときなどに起こりやすいといわれているが、他方、〈証拠略〉によれば、オキシトシンは分娩誘発剤ないし子宮収縮剤として本件当時は一般的に使用されていたことが認められ、しかも前記認定のとおり、羊水栓塞症が発症する頻度は二万ないし三万例に一例という程度の稀な症例であるといわれている事実に照らせば、八重子が羊水過多の状態にあったとしても、オキシトシンの使用を避けるべき義務があったということはできず、また、投与前に羊水栓塞の発症を疑うべき義務があったとまでは認められない(なお、原告らは被告厚川が短時間にアトニンOを大量投与したと主張するが、この事実は認めることができない。)。

(四) 転院措置遅延の過失について

被告厚川が被告学園越谷病院に転院を依頼して受け入れられたのは大量出血から約二時間半後であり、それ以前の午後五時二〇分ころにはDICの発症を疑ったのであるから、転院要請の決断がやや遅かったのではないかとの憾を否定できないが、被告厚川としては他の開業医二名の応援を要請し、また輸血用の血液の到着を待って輸血をするなどの努力をしているのであって、注意義務違反と評価できるほどの転院措置の遅延があったとまでは認められない。

2  被告学園について

八重子が被告学園越谷病院において一三日午後一一時一五分から翌一四日午前一時五一分までの間に子宮摘出手術を受けたこと、手術までに計四七〇〇グラムを超える出血があったこと、輸血あるいは輸液にもかかわらず、出血が続いていたことは前記のとおりである。しかしながら、右子宮摘出手術を選択したことが医学的に見て誤りであったとの立証はないし、手術を行うには全身状態がある程度回復するのを待たなければならない状況にあったことは前記認定のとおりであるから、手術遅延の過失があったということはできない。

また、被告学園越谷病院における術後の措置が不適切であったと認めるに足りる証拠もない。

3  以上のとおりであって、被告厚川及び被告学園の八重子に対する措置に過失があったとする原告らの主張は、結局肯定できない。

五結論

よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官原健三郎 裁判官伊東正彦及び裁判官稲元富保は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官原健三郎)

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